今晩はコロナ自粛ももう少しでしょうか?
今日の家飲みおすすめウイスキーは、
5回目にしてとうとうアイラモルトのご紹介でございます。
しかもチャールズ皇太子の超お気に入りで、
シングルモルト初の快挙を成し遂げた「アイラの王」でございます。
You either love it or hate it.
「好きになるか嫌いになるかのどちらか」
と言ったキャッチコピーもある個性的なウイスキーでございます。
是非まだチャレンジしたことはない方は、
これを機にチャレンジして欲しいモルトでございます。
それだは先ずいつもの応援ポチからお願いいたします。
ありがとうございます、では参りましょう。
価格:4,500円くらい
チャールズ皇太子が愛飲される、
シングルモルト初の王室御用達の栄光を授かったウイスキー。
それが本日ご紹介の「ラフロイグ」でございますが、
英室御用達のワラントとは一体どんなものなのでしょうか?
現在は英国のロイヤルワラントを決定できる権限を持つのは次のお3方だけでございます。
エリザベス2世女王
エジンバラ公
チャールズ皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)
ラフロイグは1994年にロイヤルワラントを取得しており、
ラフロイグ蒸溜所の白い壁には、
ダチョウの羽を3本あしらった、別名「平和の楯」と呼ばれる
プリンス・オブ・ウェールズの紋章が飾られております。
チャールズ皇太子は自ら買い付けにいらっしゃることもあり、
年によってはボトルで1000本もオーダーされると言われております。
また新製品の誕生の時には、必ずチャーチル皇太子に
ご試飲いただくことが慣例となっているのでございます。
それでは本日の目次でございます。
【目次】
ラフロイグ蒸溜所について
スコットランドの西岸沖、インナーへブリティーズ諸島の南端に位置するアイラ島。
日本の淡路島より少し大きいくらいですが、
その南の海岸沿いにラフロイグ蒸溜所はございます。
ポートエレンの港から東に3km、静かで美しい入江に面して立てられております。
ラフロイグとはゲール語で、
「広い入江の美しい窪地」の意味でございます。
歴史をざっと解説してまいりますが、
登場する人物を説明しておきたいと思います。(主要人物名を色分けしておきます。)
ドナルド・ジョンストン(創業者)
アレキサンダー・ジョンストン(同じく創業者でドナルドの弟)
ドゥガルド・ジョンストン(ドナルドの息子)
ジョン・ジョンストン(ドナルドの父)
ピーター・マッキー(ラガヴーリン蒸留所)
イザベラ・ジョンストン(アレキサンダーの姉妹、イアン・ハンターの母)
キャサリン・ジョンストン(アレキサンダーの姉妹、イアン・ハンターの叔母)
ジョンストン・ハンター(イザベラの夫、イアン・ハンターの父)
イアン・ハンター(北米マーケットの開拓とバーボン樽熟成の先駆者)
ベッシー・ウイリアムソン(スコッチ初の蒸留所所長で、アイラアイテス)
1815年
ドナルド・ジョンストンとアレキサンダー・ジョンストンの兄弟によって、
ラフロイグ蒸溜所は創業。
元々は飼育していた牛の餌の為に大麦を栽培をしていたのですが、
余った麦でウイスキーを作っていたらウイスキーを作る方が利益が上がる為、
逆転してウイスキー作りがメインになったのでございます。
1836年
ドナルドがアレキサンダーから利権を買い取り、単独オーナーとなる。
1847年 ドナルドが発酵槽に落ちて、2日後に死去。
息子のドゥガルドは当時11歳だったので、
祖父のジョン・ジョンストンと地元の農家で、お隣のラガヴーリン蒸留所の、
ピーター・マッキーによって運営。
1857年 ドゥガルドが大人になり運営を引き継ぎ、
父の兄弟(叔父)のアレキサンダー・ジョンストンと共に運営。
1877年 ドゥガルド死去
1887年 アレキサンダー死去。
その後、蒸留所は彼の姉妹である、イザベラ・ジョンストン(ウィリアム・ハンター)とキャサリン・ジョンストン、そして甥のジョンストン・ハンターに相続される。
1907年 イザベラ&キャサリン姉妹と、隣のラガヴーリン蒸留所のピーター・マッキーとの間でトラブル。このトラブルが巨匠 ケン・ローチ監督の「天使の分け前」で近年、映画化されウイスキーファンの間で話題となったのは記憶に新しい事であります。
揉めた理由は1847年以降ラフロイグの販売件をピーターが持っていた事であります。
この頃ラフロイグは順調に人気を獲得して行っておりましたので、販売権をめぐり・・・と言ったとこでしょう。 【クリックで記記事へ】
ウイスキージャーナリストのアルフレット・バーナード氏により、
「ラフロイグ蒸溜所で作られたウイスキーは並外れた特徴を持っており、これは主に
地域・水・位置など偶然の影響を多く受けています。」と報告もされております。
1908年 ジョンストンファミリー一族最後の末裔となるイアン・ハンターが、
アイラ島に戻って母親のイザベラ(ウィリアム・ハンター)と叔母のキャサリンのラフロイグ蒸留所に加わる。
1924年 現在のモルティング施設を作り、スチルも2基増設(合計4基)して、
収容能力が2倍になる。
同年、ピータ・マッキー氏 死去
1927年 イザベラ(ウイリアム・ハンター)の息子である、
イアン・ハンターが運営を引き継ぐ。
翌1928年、イザベラ死去。
1929年 当時禁酒法時代のアメリカへ薬酒として輸出のネットワークを広げるほど、
イアン・ハンターはどんどん世界へ輸出網を拡大して行く。
ラフロイグの刺激的な的な海藻やヨードの香りを、
アメリカ当局に薬用酒と認めさせた事には感心させられます。
1950年 イアン・ハンターにより、D.ジョンストン社設立。
1954年 イアン・ハンター死去
子供のいなかったハンターは、遺言で彼の右腕だったベッシー・ウィリアムソンに遺贈。
1967年 シーガー・エヴァンス社グループ傘下の、ロングジョンディスティラリーズLTDに売却。スチルを1基増設(4基から5基へ)。
ベッシーは、ラフロイグが世界的に成長し続ける為に、
財政力を備えた国際的なグループの支援が必要であると考えたのでございます。
1972年 ベッシー・ウイリアムソン引退後、
同年にスチルが2基増設され現在の数(7基)となる。
因みにベッシー・ウィリアムソンは、スコッチ初の女性蒸留所所長で、
「ラフロイグ中輿の祖」「ラフロイグのファーストレディ」と呼ばれております。
1975年 ウィットブレット社、1989年 アライド社と経営権が移り、
2014年以降ビームムサントリー社の傘下となり現在に至っている。
ベッシー・ウィリアムソンと「アイラアイテス」
「アイテス」とは病のことでございます。
ベッシーと病?
どういうことかと申しますと、まぁ〜わかりやすく言えば
「住めば都で、そこから離れたくなくなる病」でございます。
そもそもベッシーはグラスゴー生まれで、
1934年(当時23歳)にアイラ島にやってきました。
グラスゴー大学を出の彼女は、イアン・ハンターの臨時秘書として、
2ヶ月間の予定だったそうです。
ところが人一倍好奇心が強かったベッシーは、ウイスキー造りという男性社会の中、
メキメキと頭角を表し、やがて生産を任せられるようになってしまうのです。
1954年 イアン・ハンターの死去に際し、子供がいなかった彼は、
遺言でラフロイグの経営を彼女に託したのでございます。
そうしてスコットランド初の女性蒸留所所長は誕生し、
「ラフロイグの中輿の祖」「ラフロイグのファーストレディ」と呼ばれる様になりました。
その後ベッシーが亡くなるまで50年以上アイラ島で暮らし、
お墓までもラフロイグ蒸留所を見下ろす高台に作るように、
遺言を残したのでございます。
まさに正真正銘の「アイラ アイテス」だったのではないでしょうか。
「アイラにやって来る者は、誰もアイラを離れがたくなる。」
「何度も訪れたくなる」こういう人達は「アイラアイテス」だと、
アライド時代に所長を任されていたイアン・ヘンダーソンは言っております。
因みにイアン・ヘンダーソンは、イアン・ハンターとの血縁は無く、
スペイサイド出身で各地の蒸留所で働き、ハイラムウォーカー社、アライド社を経由。
2002年にはエドラダワーのマネージャーになることを承諾するにあたり、
ラフロイグの様にヘビーピーテッドの商品(バレッヘェン)を作ることを条件とした。
まさに彼(イアン・ヘンダーソン)もアイラアイテスだったのではないでしょうか?
独自のこだわりと製法
フロアモルティング
まずモルティングと言われてもピンと来ない方もいるかもしれないので、
簡単に説明いたします。
モルティングとは収穫され休眠期間を終えた大麦を発芽させ、
モルト(麦芽)へと変える作業のことでございます。
大麦は発芽させることで酵素が生成され、この酵素の働きで麦芽に含まれるデンプン質から
アルコール成分の元になる糖やアミノ酸が生まれます。
これがウイスキー造り最初の仕込みには欠かせない作業なのでございます。
さてラフロイグの場合ですが、
フロアモルティングという伝統的なモルティングを行なっております。
(現在アイラ島では3ヶ所だけ)
低温多湿の4つのフロアがラフロイグ蒸留所にはあり、
ピート成分が溶け込んだ水をたっぷり含ませた(浸麦)大麦を床に敷き詰め、
それを職人が8時間毎に木製のシャベルで撹拌しながら均一に発芽を促します。
そして適度な長さまで芽が伸びたら、
今度は発芽を止める為にピートを焚いて乾燥させルわけでございます。
ポイント
仕込み水:キルブライト湖の水で2日間浸麦
使用する大麦の品種は「オックスブリッジ」
4つのフロアは、15〜16度に調整
独自のピートポグ(湿原)から切り出すピートにはヘザーや苔、海藻などが混入しており、それらがラフロイグ独自の風味を生んでます。
コールドスモーキング:はじめに低温でピートを焚くことでフェノールやスモーキーフレーバーが強まる。(その後熱風で乾燥させて粉砕)
仕込み
1バッチ5.5トン
自家製麦芽 約15% フェノール値45〜55ppm
ポートエレン製麦芽 約85% フェノール値35〜40ppm
本土産麦芽 少々 フェノール値35〜40ppm
上記3種を混合して仕込みに用いています。
糖化〜発酵
ポイント
マッシュタンはフルロイタータンで、得られる麦汁は約27,000ℓ。
麦芽の糖化をスムーズに進めるための仕込み水の温度は67度くらい。
その2回分を一緒にして52,000ℓ(54,000リットルは張り込めない)のステンレス製のウォッシュバック(発酵槽)へ。 (ウォッシュバックは6基あります)
使用酵母はマウリのリキッドイーストで、発行時間は平均55時間。 → フルーティな香味を引き出してくれる
ウォッシュ(もろみ)はアルコール8〜9%
蒸留
ポットスチルは初留釜(ストレートヘッド)が3基(容量はすべて10,500ℓ)、
再留(ランタンヘッド)が4基(3基は4,700ℓ、1基だけ9,400ℓ)
合計で7基でございます。
スチル数が合計7基、数だけ見ればアイラ最大ですが、
それぞれのサイズは小さく、
特に再留釜の4基のうちの3基は張り込み量4,700ℓしかございません。
また再留釜はくびれの強いランタンヘッド型で、
お隣のラガヴーリン蒸留所やアードベッグ蒸留所の、
半分以下のサイズと量になっております。
ラインアームも15度ほど上方に向いており珍しく、味は全くかけ離れておりますが、
「家飲みにおすすめのウイスキーPart3」グレンカダムと同じ効果ですね。
グレンカダムの時に書きましたのが、
このように上向きにラインアームを取り付けることで、濃いアルコール分が逆流して蒸留器へ戻ってゆき、不純物の混入防止し、
軽やかでクリアな留液を得ることによって、
優美で繊細なウイスキーが生まれるという事なのであります。
再留の際のヘッドカットは45分と業界最長で、ミドルカットは72〜61%、
ミドルカットの採取を少し遅らせることで、よりタールっぽい風味を強く含んむ事も大きな特徴の1つで、ラフロイグのユニークなところではないでしょうか。
ちなみに周りの蒸留所との規模を比較するために作ったデータを載せておきますので、
お時間ご興味のある方はじっくりどうぞ
樽熟成
蒸留により出来たニューメイクは63.5%に加水され、
オークの樽に詰められるわけですが、
ラフロイグはファーストフィルのバーボンバレルへのこだわりも特徴ではないでしょうか。
因みにですが現在のラフロイグは、
メーカーズマークの空樽が使用されているものが多いと聞いております。
1929年当時、禁酒法時代のアメリカへ薬酒として輸出のネットワークを広げたイアン・ハンターは、更に北米マーケットをターゲットにセールス行脚に力を入れておりました。
その折、新樽の中を強く焦がて1度しか熟成に使用しないバーボンの空き樽を、
スコッチの熟成に使えるのではないかと考えたのでございます。
現在スコッチの熟成に使用される9割以上がバーボン樽ですが、
いち早くそれを実践してみせたのがイアン・ハンターでございました。
今日、ラフロイグは様々なラインナップがございますが、
「ラフロイグ10年」だけは今でもファーストフィルのバーボンバレルのみで熟成され、
イアン・ハンターの意思を受け継ぎ続けているかの様にも思えます。
因みに、通常多いのはアメリカでバーボンバレルをバラして輸入し、
現地(スコットランド)でバレルより少し大きなホグスヘッドに組み上げられる事が多い様でございます。
【樽の名前と容量】
バレル(約200リットル)
ホグスヘッド(約250リットル)
パンチョン(約480リットル)
バット(約500リットル)
※樽が小さければ小さいほど、液体と樽の接する面積が多いので
熟成が進むのは早くなる。
【熟成庫(ウェアハウス)内での置き場所で熟成の進み方は変わる】
同じ貯蔵庫内であっても温度変化の大きな場所は、
樽や中身の呼吸(膨張と収縮)が起きやすい。
温度が高ければ、中身の原酒が膨張し、余分なものが放出されますので、
酸化熟成が促進されやすい。
逆に温度が低ければ、中身の原酒が収縮し、外気をあまり取り込まない為、
樽から受ける影響は少なくなります。
ラフロイグ10年を味わってみよう
本日もハイボール、ロック、
ストレートの順に行ってみましょう!
・ハイボール ⭐️⭐️⭐️⭐️
香りはヨード、タール、スモーキー。
口に含むと淡い甘味が口に広がります。オレンジピールの様なニュアンス。
麦茶やシリアルの様な軽やかで素朴な味わいでございます。
ゴクっと飲み込むと流石に鼻から抜けるピート感はしっかり感じます。
フィニッシュはドライで、アフターはちょっとビターチョコの苦味が舌の裏あたりに残ります。
その後味が次の液体をまるで催促するかの様に感じて、また口に運んでしまいます。
正露丸のイメージで苦手と思っていた方も、燻製のナッツやチーズ、スモークサーモンなどの燻製のおつまみやお料理をイメージしながら飲んでみてください。
しかもハイボールはチビチビじゃ無く、ゴクゴクっといってみてください。
意外に今まで苦手だった方もハマってしまう方が当店では非常に多いです。
・ロック ⭐️⭐️⭐️⭐️
香りは湿った土、子供の頃いじった粘土、
口に含むと、香りもそうですがハイボールとはまた全然違います。
ハイボールの時のような甘さは最初全く感じず、
突き刺さる様なヨードチンキ、クレソートの様な味わいに口いっぱいが支配されます。
少し時間が経つと氷が溶けほんのりと麦(穀物)の甘味が出てきます。
レモングラスを噛んだ時の様な草っぽさと苦さと爽やかな酸味も感じます。
時間が経ち氷も馴染みキンキンに冷えてくると、
「キューーーーーッ」と口の中で、一度縮まったものが、
ビッグバンのように爆発する様な感覚を味わえます。
あまり多くは語らず背中で語るような渋い3枚目の男になりきって、
一人で バーのカウンターに座り、「オン・ザ・ロックダブルで」。
ハードボイルドがよく似合う硬派な奴です。
・ストレート ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
それでは最後ストレート!
チャーチル皇太子を演じさせていただく役者になりきって、
ほんの少し味わったみたいと思います。
香りから! ホォーーーーォーーーー
乾いた素朴な香りの中にヒースの花のエレガントさを感じます。
病院の消毒液の様な匂いも、ほのかに甘い上質の香りに感じます(笑)
口に含むと、乾燥した麦やシリアルを口の中で湿らせ、柔らかくしたものを噛めば噛むほど味が出てくる様な感じでございます。
グラスをスワリングしながら目を閉じて香りを嗅ぐと、
ピートの湿地帯があたりに広がるアイラの大地の香りに包まれながら、
美しい入江が頭に浮かびます。
是非一番上の入江の海岸沿いに建つラフロイグ蒸溜所の写真をご覧になってください。
何度も口に運ぶと素朴な味わいの中に、グレープフルーツのワタのような苦味と酸味も捉える事ができるかと思います。
麦芽のニュアンス+ほのかなバニラ。
優しい塩気がありつつピンクペッパーの様なスパイシーさ。
優しく力強く、決して媚びずにブレない。
まさにアイラの王と呼ばれるだけの事はある
このエレガントにもとれるニュアンスはハイボールとオン・ザ・ロックにはなかった味わいでございます。
終わりに
久々のブログ更新で、内容が盛り沢山になりすぎてしまいました。
途中難しいところもあったかも知れませんが、
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
近頃来月からの準備で夜お店で掃除や準備をしていると、
電話がちょこちょこかかって来ます。
早く皆様のお顔が見たいです。
緊急事態宣言が明けることへの楽しみと不安、どちらもありますがボトルを磨いてワックスをかけて、シェイカー磨いて自分も磨きなおして10月を迎えたいと思います。
緊急事態宣言が明けたらこちらの「家飲みにおすすめのウイスキー」コンセプトを変えていくつもりですが、せっかくブログをこうしてやっておりますので、色々内容を考えて書いていこうと思っております。
今日は最後まで長々となって申し訳ありません&ありがとうございます。
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コメント欄に、こんなこと知りたいとか、こんな記事を書いて欲しいとかも書き込んでもらえると
とても励みになりますのでよろしくお願いいたします。
追伸.
巨匠 ケン・ローチ監督の「天使の分け前」とは?
1908年 ジャストンファミリー一族最後の末裔である、イアン・ハンターがアイラ島へ戻って来て、後に母のイザベラと叔母のキャサリンから経営を任されるわけですが、
上でも記しましたが、その時にラフロイグの販売権を握っていた隣の蒸留所(ラガヴーリン)のピーター・マッキーと揉めた時がございました。
その時ピーターは「ラフロイグ蒸留所を潰してやる」と激怒して、
ラガヴーリン蒸留所の敷地内にラフロイグそっくりの蒸留所を建てて、
対抗したのでございます。
この蒸留所が幻の蒸留所「モルトミル蒸留所」だったのですが、
味は全く似かよらずで、1962年には閉鎖してしまいます。
巨匠 ケン・ローチ監督の「天使の分け前」はこのモルトミル蒸留所を舞台背景になっている映画なのでございます。
機会がございましたら、ご覧になった事がない方は是非!
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